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SORA-IROコラム知育のタネ

<このインタビューは全教研顧問入井信明先生のインタビューをほぼノーカットで採録したものです。話し言葉であるため多少読みづらい箇所もあります。ご了承ください>

<附属小入試は何を測定しているのか?>

SORA-IRO編集部(以下「編」) 附属小の面接は本人面接と三者面接に分かれているのですか?

入井信明先生(以下「入」) 附属小の場合本人面接です。その他、学校によって違いますよ。私立は親御さんと一緒に面接する場合も多いです。附属の場合は、本人面接。それも、年次によって変わる可能性がありますから注意してください。今年はどうしようか、というのはその年、その年で違います。伝統的に選考内容や方法が固定しているわけではありません。学校の方針が変われば、がらっと変わることもありますから。

筆記試験、面接、行動観察、この三つで一次選考。そして二次選考は抽選。このスタイルはずいぶん長い間変わっていません。来年も変わらないという保証はできませんが、今のところこのスタイルです。

 小学校入試はお子様の何を測るのでしょう?

 子どもの知能検査をしているといえるのではないでしょうか。数学ができます国語、理科、音楽ができますという個別の知性・知能ではないのです。測りたいのはそこではない。それが、澤口俊之先生も問題にしている、「一般知能=IQg」ですよ。IQgは人間性知性HQの指標でしたよね。入学試験でなにが見たいのかといったら、結局IQgなのではないかと。

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 小学校の入学試験は一般知能を見るのですね。

 要するにIQgが発達していることで、「主体的に活動できる、集中力がある、感情の抑制ができる、思考力が高い、達成感を感じることができる……」そういう子たちを探したい、と考えるほうが自然でしょうね。IQgが健全な子はどの子かと思って試験をしている。国立大学法人の附属ですから、入学以前に算数ができますよとか、ひらがなは全部書けますとか、そんなことは要求していないのです。もっと言うと、文章を「読める」「読めない」は関係ないのです。ひらがなを知らないことが前提ですから。計算も関係ないのです。

「算数」とはいいますけど、数を覚えさせてみたり、例えば電話番号のような、9けた10けたの番号を言わせて、そのまま復唱できるかどうか。あるいは逆に言ってごらんとか……。そういう「数」に対する感性や、「10個のおはじきのまとまりを作るのに、いまここに7個あって、あといくつ必要ですか?」だと、あと3つもってこなければならない。そういう数の操作は、選考(テストの項目)中に含まれるのです。

数の操作に関する項目を、小学校受験の準備をする教室では「数量」といっています。ウェクスラーに基づくと、一般知能を測るには4つの分野が考えられます。言語理解、知覚統合、処理速度、作業記憶の4つです。この分野の中から、すべて漏れなく出題されるということはありません。最近の「筆記試験」ではせいぜい4〜5枚程度ですよ。4分野から全部の項目が出ることはない。

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 では、傾向と対策は?

 何のために幼少期にはこの練習をするのでしたっけ?一般知能(IQg)を高めるためですよね。それを高めるための練習項目がこれだけあるわけですから、「位置の記憶」だけしましょうとか、「しりとり」だけしましょうとか、それはありえないです。だから全部の項目を若菜会では練習します。それは、附属に行こうが行くまいが、年長児は来年の4月には必ず全員、小学校の一年生になるんですよ。誰でも一年生になるわけですから、そのために学習できる素地をつくってやるということは、受験するしないに関わらず必要なことではありませんか?「受験しないからこれには取り組まない」ということだと、適時性のある幼児教育とは言いにくいですよね。

 筆記試験に関して質問します。筆記試験の練習をすることは、学習面と精神面両方が身につくということですね?

 学習面と精神面と、分けることは意味がありません。なぜなら、面白がってやるから身につく。それは、ゲームだろうが本だろうが、ピアノ、ヴァイオリンだろうが、面白がってやるから身につくのですよね。5〜6歳の子は、ここまでは学習面でここからは精神面で…とかいう分化はできていません。未分化だと思います。だからこそ一般知能(IQg)が大切なのではないのですか。これが育っていれば、主体的であったり集中力があったり、高い思考力があったりとか、「今これを頑張っていれば……」という将来展望ができるとかが期待できます。たとえば、一般論としてチンパンジーの前にバナナを2本置いて「3時間待てれば4本にしてやる」という話はチンパンジーには通じないじゃないですか。すぐに食べてしまいますよね。でも人間は待つことができます。それが、前頭連合野の働きなんですよ。「今ここで僕はこういうことを頑張っておくと、将来……になることができるんだ。」と考えられるのがHQの働きではないですか。

もちろんHQも個別の知性の一つということで考えられます。論理数学的知性や、言語知的知性と同じようにHQも個別の知性と考えられないことはありません。極端な話、小さいうちから数学的なことだけに特化して徹底的に鍛えることは可能です。しかしそんな子育ては一般的ではないですよね?うちの子は数学だけできればいいと、そういう育て方は極めて稀だと思います。SORA-IROさんのおっしゃる「精神面」という考え方は、HQに含まれていると私たちは考えます。主体性や集中力はHQの中にあるのですから。

「自ら学ぶ能力を身につける」という全教研のテーゼがあります。その自ら学ぶ…ということが身につくように仕向けていくことが、教育の目標なのではないのかな。小さいころから「学びは楽しいよ」というように仕向けていくことが教育なのであってね。それを小さいうちからせずに、大きくなって勉強の必要を自覚して(成績に不安を感じて)から、対処療法的に勉強してもなかなか思うような効果が期待できないことが多いです。

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 この「本人が学びたいと思ったときに学ばせたい」という考え方は、比較的多くのお母さんたちに支持されています。主体性を大切にし、自由な教育のように見えますから……。

 HQの観点からすると全面的に正しいとは決して言えません。というのは、対処療法という言い方をしましたが、もちろん対処療法が悪いわけじゃない。対処療法も絶対必要です。だけど、一方で、お腹が痛くなる(悪い結果が出る)まで自由勝手に暴飲暴食させておいて「お腹が痛くなった?じゃあ病院に行こう」という考え方を良しとするかということです。そういう暮らし方を良しとするか。むしろ、日ごろからお腹を痛くしない生活をさせるべきですよね。「本人が学びたいと思ったときに学ばせたい」という考え方では、いつまでたっても自分の意思で勉強したいって思わなければ、結局勉強しないわけでしょう。危険じゃないですか?怪我してから病院に行きましょうみたいなもんでしょう。

 多くはできなくなってから塾に行くと。

 そう。できなくなってから塾に行くことが対処療法。土台を作ることに時間と手間をかけていない。その土台(HQ)を作るのが澤口俊之先生の論理で言う、8歳くらいまでのことじゃないですか。その時期を逃しておいて、ほんとに自分で勉強できる子っていうのはけっして簡単なことではないでしょう。

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<面接について>

 面接・行動観察について。学校側の目的は?

 「先生面接ってどういうことを準備したらいい?」入学試験間際になって質問してくるお母さんがいる。でも、受験間際から始めることというのは、「仕込み」でしょう。直前に何とかさせようという…。学校側としては、そんなことはほとんど評価していないですからね。練習した受け応えが上手に言えたというのはけっしてポイント高くないんです。
自分の名前、自宅の簡単な住所、自宅の電話番号などを、必要に応じて言えるということは、日常生活の中で身についていてほしいのであって、受験するから練習しましょうではないはずです。受験するから…ではなく、どんな学校に上がってからも必要な能力ですよね。受験するから…練習するであれば、受験しなかったらそういう能力を身につけなくていいということになってしまう。それは違う。僕の元同僚でも後輩でも、教員がよく言うのは、自分のことを言えない子が多いと……。朝具合が悪くなって保健室に来る。保健室には来るんですよ。または、友達に連れられてくる。でも、先生が「どうしたの?」と声をかけるまで入り口でただ立っている。「おなかが痛いの?頭がいたいの?」という問いかけに対して、やっと首を振って「Yes No」の意思表示をする。怪我したら分かる。目でみたら血が流れているから。でも、どこか打ったとか、打撲のような怪我は外見からは分からない。その「自分はどこが痛い…」を自分から言えない。そういう子はOKですか?小学校を受験しようがしまいが、自分のことをきちんと相手に伝えられる言葉の力とか、人が言っていることを理解してそれに正しく反応する力というのは当然あってしかるべきではないのか?それが今では受験というきっかけがないと練習できなくなってしまったというならば、受験するための準備はあってしかるべきでしょう。とにかく最近のお母さんは「先回り」しますよね。「これ食べるの食べないのどっち?食べないのね分かったじゃあ片付けるわ。」子どもが言う前に結果が出てしまうでしょう。「あなたこれ食べたいんでしょう?」そういう受け答えの中で、子どもたちが育っているんですよ。つまり、子どもは自分で言わなくても、(目の前に)並べられた「食べる、食べない」の選択肢から、仕草で選べば済むんですから、言えない子が増えるのも当然です。

だから、面接試験では、日常生活で自分自身に関わることや身の回りのことについて小学1年生として生活できる程度に、尋ねられたことに応えられるかどうかを試すのです。これは「面接」でしかできないことです。筆記試験では分からない。個別に一人ひとりに問いかけてみて、ちゃんと問いかけたことが理解できているかどうか。もっと言うと聞こえたかどうか。それは実際に会って話をしなければ分からないことだから面接をする。附属の場合、今は一人の子に複数の試験官で面接するようですね。

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<行動観察について>

 行動観察のねらいは?

 子どもの勝手な振る舞いというのは自己抑制の観点から説明できます。「あ、なんかやってる!おもしろそうだな」と立ち上がってみたくなる。「座って待ちなさい。」といわれているのにできない。これは自己抑制の弱さの表れです。自己抑制、HQのところにもありますよね。自分の感情を抑制する。行動させて見なければ分からないことってあるんですよ。筆記試験だけでは分からない。例えば、「ボールつきをしなさい」「ジグザグに行きなさい」「平均台を渡りなさい」……、そうしたら、その次はこうしなさいああしなさい。いろんな運動能力的な指示が与えられます。だから親御さんの中では、運動テストだと思う人がいる。だけど、もしそれが運動テストであるならば、なぜ絵画のテストをしない?なぜ音楽のテストをしない?運動より音楽のほうが得意な子がいていいじゃないの。学校の中には、音楽より絵画が得意な子がいてもいいじゃない。でも絵画の能力や音楽的素養は試験されないのでしょう?ということは「行動観察」は運動テストではないということです。運動能力のテストではないのですよ。ほんとに運動のテストで、跳び箱何段で合格するのなら、20メートル何秒で走れましたとか、ジグザグにいってどこにもぶつからずに何秒で帰ってきたとか、それで評価をしているとするならば、なぜ歌わせないのですか?なぜお絵かきをさせない?では何を見ているのでしょう?「行動」させて何をみるのでしょう?それは筆記試験でみることができないことです。つまり、「指示説明された動作作業に対して正確に行動、反応できるか、他の子と上手に協調協働できるか」を観察・評価し、反応抑制や行動選択の能力、社会的知性や、自我の発達状況を知るためと考えられるのです。

もっとはっきり言うと、「短期記憶(ワーキング・メモリ)」なんですよ。「平均台を超えたら今度はでんぐり返りをしなさいね。でんぐり返りができたら今度は……しなさい、……しなさい。」と行動指示(コマンド)を5つも6つも与えてみれば、それを順序どおりにできるかどうかはその指示をちゃんと覚えていないとできませんよね。短期記憶じゃないですか。

何度も言いますが、運動が苦手な子は絶対いるわけです。でも投げ出さないで最後まできちんと頑張ろうって、それはHQでしょう。だからHQというかIQgというか、それをどう育てるかが、子育ての、特に幼児教育の、肝。私はそのきっかけが小学校の受験準備であっていいじゃないかと考えます。そういう意味で言うと、堂々巡りにはなりますが、小学校を受けようが受けまいが必要な練習・準備なのですよ。

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<若菜会は受験のトップ校?>

 受験ではやはり若菜会が一番なのでしょうか?

 受験という切り口だけなら若菜会はトップじゃないですよ。なぜならば受験という切り口だけで言うならば、それこそ「調教」でいいわけですから。「こう言いなさい」「なんで座ってられないの!」がんがん押し付けて調教していればいいわけですよ。条件付学習をさせて調教して…。でも、それはHQを育てるには全く逆だから、若菜会はしないのです。他の「お受験」教室からすれば、若菜会はかなりの部分で生ぬるいかもしれない。お受験教室のなかには提供する紙教材の枚数を謳うところがあるくらいです。もちろん若菜会だって、受験クラス以外も取り組む「才能開発ノート」1冊に課題が10枚弱綴じてあって、それを週に1〜2冊取り組みますから4週間で約60枚。それだけでも1年で720枚、それ以外に受験対応の課題が一回の授業で7〜8枚あり、さらに復習プリントや類題の宿題プリントがあります。さらに年長児は4月から国立小系・私立小系の2種類の教材に分かれていきます。シーズンセミナーや月2回のテスト会の教材枚数を数えれば、年長児に準備している年間の教材枚数は悠に2,000枚を超えるけど、それを謳ってはいません。

 数とか、どれだけ厳しくやりましたかということでは、競っていない?

 小学校入試に合格することだけを目的にしていると、入学してからのことが抜け落ちてしまいませんか?小学校の受験に合格すれば人生が全てうまくいくかって?突き詰めてみてくださいよ。何が必要なんでしょう?しかも、この時期を逃したらなかなか難しいことって、何なのでしょう?澤口俊之先生がおっしゃっているではないですか、この時期ですよって。たかだか12歳だと思っても小学校6年生になってしまったら、「HQの成長にはもう厳しいですよね」とおっしゃる何かがあるわけでしょうそこに。だったら人の話がちゃんときけて、お父さんお母さんの言いつけがわかって、守れるような心が育ちかかっている4〜5歳のころからせめて2〜3年の短い時期に適切な練習を施すことは必然です。この幼児期を外しておいて、あとから付け加えようとしても思うに任せない何かがあるわけでしょう。まさに適時教育でしょうよ。

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 受かる受からないは問題にされていないのですか?

 いえそんなことはない。ただし、誰が合格するかは分からない。それは学校が選ぶことです。それでも、受験に適した仕度をしないと入試に対応できないではないですか。筆記試験に慣れるとか、指示があるまでひざに手を置いてしっかり待てるとかね。そういう練習はそういう環境に子どもを置かなければできないわけでしょう。ピアノを見せるだけではいつまでたっても弾けませんよね。名演奏を何回聞かせたところで、弾くための練習をしなければその子は弾けませんよね。それと同じで、入学試験に挑戦するのであれば、そのための適切な練習は必要ですよね。若菜会がまったく合格にこだわらないとかそういう馬鹿な話はない。でもその目的と手法が違うんです。合格だけが目的ならば若菜会以外の選択肢がありますよ。でもそこにいけば合格するかどうかはわかりませんけれども。「育て、学びのこころ」が全教研若菜会の目指すもの。若菜会が受験というきっかけを通して、子どもたちに提供したいのは「学びのこころ」ですよ。知的好奇心、探究心、あきらめない心、そういうのさえ育っていれば自分で学ぶではないですか。

HQ、IQgを育てるという視点がなければ、全ての教育活動は、調教に等しいと思います。だから言ってしまえばいいと思うんですよ。調教しますか教育しますかと……。特に幼児の場合は。お母さん自身が「育児」といいながらそれが「調教」になってはいませんか?調教にうまくいかないからストレスがたまるのではないでしょうか?。

一つのキーワードかもしれない。「調教」と「教育」がね。ただ字面(じづら)だけみるとエキセントリックな表現になるから調教という言葉遣いには気をつけてくださいね。

鉛筆の持ち方 箸の持ち方、人に対するごあいさつの仕方とかは、どうしたって型や枠にはめるということがなければならないではないですか。教育という知的な精神的な活動には、型にはめるとか枠にはめるということを必要以上に恐れては成り立たない側面があるのです。だけど、その過程においてね、先生や親が言うことに対してきちんと取り組んだり、「本当は…がしたいんだけれども、今はこれをするんだ」と、自己抑制が求められたり、そこから将来展望の芽が芽生えたり、そういうような意味合いでもって、一つひとつの課題をこらえてやっていく、その過程においてIQgやHQが高まっていく。それこそ、「こっからあそこまでかけっこで行きなさいと。かけっこで行ったらどこそこにタッチして、次は何をしなさい。そのあとこうしてどうして、もどっていらっしゃい…」。その間にいくつもの課題があるわけです。例えばね、その課題を完成させるために順序どおりに覚えておいて、それが完遂するまで忘れないでいられることはまさに「短期記憶(ワーキング・メモリ)」だし、その能力そのものがHQの指標です。ワーキング・メモリの低い子に、HQの高い子はいませんから……。「幼稚園から帰ったらまず手を洗うのよ」と……。手を洗う前に着替えさせるご家庭もおありでしょう。そのあと「おやつ」にたどりつくまでの手順を守らせることが、実はワーキング・メモリの練習なんですよ。だから日ごろの生活習慣の維持はとても大切なのです。

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全教研・入井先生

早期才能開発教室 若菜会
教務推進本部
幼児教育アドバイザー

入井 信明先生

学部の研究主題でインド学(古典論理学、古典言語)に触れ、以来大学院博士後期過程単位満了まで、様々な言語体系を基点に哲学的分野の研究に携わる。その後、公立小中学校の教員を経て平成2年3月、全教研に入社。平成6年以降、故中垣名誉会長が「石井方式漢字教育」を導入した「早期才能開発教室 若菜会」に携わる。平成14年以降、(株)インフィニット・マインド(福岡市)主導の「前頭連合野を健全に育てるプロジェクト」に参画。言語教育、知能・知性、脳教育の分野を中心に現在に至る。


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